もともと看護師だった私は、何かといえば、「科学的根拠」というものが物差しとして判断したりします。(仕事ではです。)
科学的根拠がなければ、看護行為として使用したくても却下されたりします。根拠がないものは安全性が確立されていないと考えるからだと思います。もしくは、効果がないものは害を与える可能性があるから。
看護師の仕事の大前提は「患者の安全、安楽」
看護プランとして、どうにかして目の前の患者さんの安楽を考えた時、アロマオイルを使おうというのも、文献を引っ張ってきて、どんなオイルを使用するかを検討。皮膚状態とオイルは問題ないのか、または患者さんの好きな香りは、精神的な安楽という効果は得られるのかどうか、文献を引っ張ってきて、効果があったとわかって初めて使用できる。ということを今までやってきました。
今私がやっていること。
科学的根拠がないこといっぱいやってます。
紐巻いたら体が楽になったり、膝上をささっと撫でるだけで足が整ったり、突然柔軟性が上がったりすること。
それを胡散臭いという人いっぱいいます。
科学的根拠をベースに仕事をしてきた私ですが、その胡散臭い、実はめっちゃ好きです。(笑)
意外だとみんなに言われるんですが、私自身はあまり意外だと感じていません。
医療の現場も、科学的根拠ってい言われるし、それをベースに仕事をしているけれど、みんながみんなその通りになるわけじゃなし、ある意味トライアンドエラーで進んでいるのです。
可能性がなかったものに可能性が生まれたり。
余命半年と言われた患者さんが、四年生きれたり。
全てが全て、そうじゃない。人間の力ってそんなもんじゃない。っていうものに触れてきたから。
もう一つは、科学的根拠がなくても、患者さんが楽になったり、楽しく生きられるなら、それでええやん。って思ってる自分がいるんです。
医師の指示がなければ医療行為ができない私たちにとって、安全が確立できるなら、安楽にしてあげられる方法はいくらでもあった方がいいと思うんです。
熱なってすんません。(笑)
何を言いたいのかというと、科学的根拠なくても、その人がいいと感じていることはいいんやってこと。
もう一つ言えるのは、この胡散臭いことは今の科学で立証してない、もしくは立証できないってこと。
この科学的根拠も歴史を遡り、いろんなデーターを集めた結果なわけです。
あのエジソンだって、電球のフィラメントを作るのにいろんなものを使いましたよね?日本の竹を使って長い記録を出したっていうのが有名な話!!
科学はこういったトライアンドエラーでデーターをとっていったもの。
この胡散臭いと言われるものを、科学的に立証できるデーターが不十分であるということだと思うんです。
信じるのはあなた次第
私はこの胡散臭いを信じているタイプです。
科学的根拠も大事だけど、自分の感覚が一番大事。
胡散臭いというとマイナスイメージだけど、魔法のようなよくしてくれる不思議なもの。
ラッキーアイテム、自分の可能性の幅を広げてくれるもの。
と考えると見えない部分の自分が成長しているようで嬉しくなるんです。
まとめ
最近、身体の使い方の話をしていて、科学的根拠がないことは、まだ科学が追いついていない。ということをおっしゃっていた方がいて、私も考えてみました。
もし、この胡散臭い世界が気になっているけど飛び込めない人のプラスになったらええなって思います。
私自身の3年間での成長をみていただけたら、胡散臭いことも結果出すんやってことわかってもらえるかな(笑)
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