最近読んだ本で、「そうだよー!!」と思わず興奮してしまった言葉。
自分自身に関わるあらゆることで、これって起きてるなとおもい、気をつけたいと思ったことです。
なぜなら、自分の成長を妨げるとても怖いものであると思ったからです。
何をもってできたとするのか
歩くを例にします。
赤ちゃんが一人で立って手を繋がないでも歩けるようになった。多分きっとその程度で歩けたOKを出すとおもいます。
でも、私たちは毎日歩いているのに、歩く達人ではない。毎日歩いているのに達人級の方は一握りしかいないのです。
私たちはどこかのレベル、きっと「ある程度」と言う言葉を使って、無意識にOKを自分自身に出してしまっているのです。
無意識のOKは人によってレベルが違う
これはどの世界でも一緒です。
よく、わかりやすい例なのは武術家や格闘家の方達のインタビューやコメントによく聞くような気がします。
達人と呼ばれる人ほど、「私はまだまだです」と答えるのです。
私たちから見れば達人だし、私たちよりも断然できることだらけなのに。。。
でも、この達人たちは自分の思うOKに満たしていないと言うことだと思うのです。
今の自分をどのように思う
今まで、無意識のOKを出し続けた結果が今の自分だと思っています。
姿勢も、ベリーダンスのムーブメントも、体の使い方も、歩く、走るも全部。
肉体改造って言いますが、まずはこの考え方を変えていかないと、ここからは何も変わらないのだと思わされた言葉でした。。。
じゃ、どうする?
自分にとって、今良かったと思えることは、身体操作と言うものに出会えたこと。
私もまだまだ体を使いこなせていません。でも、体を使いこなしていくことができると言うことを知りました。
ダンスをやっている以上、ダンスの技術を上手くなっていかなければならないのですが、そこに必ずついてくるのが、身体の使い方。
身体の使い方ができてこそのムーブメントがあると言うことをもっと意識してやっていきたいとおもいました。
将来的には、どこかの筋肉を動かすという1部分にフォーカスするのではなく、身体の使い方からダンスのムーブメントをやっていく、と言うことをちゃんとまとめて考えていきたいです。ダンスを教えないダンス教室では、まだまだメンバーさんの数が不十分だと思うので、すぐにできる状態ではありませんが、たくさん集まったら、クラブ活動みたいに、ダンスジャンルごとにムーブメントを考えていけるようになりたいなぁ。っていうちょっとした夢。
まとめ
無意識のOKを「確かに〜」なんて思ってもらえると嬉しいです。
このレベルをなんにでも適応してしまうととても自分に厳しい人になると思うので、そこは臨機応変だとおもいますし、自分の大事にしたいことととかを優先的に考えるといいかもしれません。
私自身、トレーニングが好きじゃない理由もこれでちょっとはっきりしたな。って思っていて、それはトレーニングを否定しているではなく、私はまだトレーニングができるような身体の使い方ができていないと言うことに今回の無意識のOKと言う言葉で気づかせてくれました。
自分の身体以外の負荷に耐えられるような身体の使い方ができるようになっていきたいなとおもいます。
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